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金栗四三(日本マラソンの父)29

こんばんはGnaです。
 今日は、先日もお話ししました金栗四三さんの続きのお話をしたいと思います。
 前回のお話では、幻の第12回夏季オリンピックの中止と金栗さんお話でした、その後の金栗四三さんはどうなったかというと

 戦後は物資不足でスポーツをするような状況ではありませんでしたが、1945(昭和20)年の暮れには日本体育協会が再発足し、日本のスポーツ界は陸上競技から復興を始めました。

 1946(昭和21)年に入ると、仲間が熊本に戻ってきており、金栗四三さんを中心に「熊本体育会」を再発足する話し合いが行われ、1946(昭和21)年4月に「熊本県体育協会」が発足し、会長に金栗四三さん、副会長に宇土虎雄さん(「熊本近代スポーツの父」や「ミスター熊本とよばれています)が就任しました。

金栗四三: 消えたオリンピック走者

金栗四三: 消えたオリンピック走者

 

 金栗四三は戦後の物資不足のなかでもマラソンの普及活動に務め、1946(昭和21)年11月3日には運動会「第1回・熊本県民体育祭」を開催した。

 1947(昭和22)年には箱根駅伝が復活しました(第23回大会 1月4・5日実施)。

 この大会で神奈川師範学校が初出場し、初めての予選会(第1回関東大学高専10マイル)を1646年12月に実施しましたが、読売新聞社が共催に入っていたのですが、「学生の大会を私企業が催すことは好ましくない」とGHQからの指導があり、後援となりました。

 この時の予選会の結果、明治大学中央大学東京文理科大学慶應義塾大学、法政大学、早稲田大学専修大学、東京体育専門学校(現:日本体育大学体育学科)、神奈川師範学校(現:横浜国立大学教育学部)、日本大学の上位10校が本選の第23回大会で走りました(予選会には、東京第一師範学校(現:東京学芸大学教育学部)も参加していた)。

 大会の優勝は、予選会でもトップの明治大学の優勝でした。

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 今日のお話は、ここまでにしたいと思います。また続きは、書きますので今後も購読よろしくお願いします。Gnaでした。

 


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