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金栗四三(日本マラソンの父)23

こんばんはGnaです。
 今日は、先日もお話ししました金栗四三さんの続きのお話をしたいと思います。
 前回のお話では、三度目の第8回夏季オリンピックに参加し第一線からの引退をしました、その後の金栗四三さんはどうなったかというと

 金栗四三さんが引退してから4年後の1928(昭和3)年第9回夏季オリンピック(オランダ・アムステルダム)において、日本人選手の山田兼松さんが4位(2時間35分29秒)、津田清一郎さんが6位(2時間36分20秒)と入賞を果たしました。
 この知らせを、金栗四三さんは嬉しい気持ちで知ったそうです。
 金栗四三さんの3度のオリンピック挑戦は不本意な結果でしたが、道を切りひらき、後進を育てる役割は立派に果たしました。 

金栗四三: 消えたオリンピック走者

金栗四三: 消えたオリンピック走者

 

 1930(昭和5)年の春、金栗四三さんは、東京女子師範学校(現 お茶の水女子大学)で教鞭を執りながら、スポーツの普及活動に力を入れていましたが、スポーツ嫌いの校長(第8代校長 吉岡郷甫さん)と対立し、東京女子師範学校を辞めて故郷に帰ることにしました。

 しかし、周囲から引き留められ、1年だけという約束で、1930年の春から「東京女子高等師範学校」に講師として在籍した。

 1930年の夏に長兄・金栗実次さんが危篤になり、駆けつけたが既に逝去しており、死に目には会えなかったのです。

 その後、金栗四三さんは、1931(昭和6)年の春に「東京女子高等師範学校」を辞して1931年6月に故郷の熊本へと帰り、養子に入った熊本県玉名郡小田村(熊本県玉名市小田)の資産家・池部家を継ぎました。

 方々から校長就任の要請がしましたが、義母・池部幾江がようやく戻ってきた金栗四三さんを話すわけがありません。

 池部家は資産家で働く必要は無く、義母・池部幾江さんが家に居て好きなマラソンをやっればいいと言って金栗四三さんを手放そうとしないので、これも親孝行だと思い、校長の話は全て断り、熊本でマラソンをしながら、マラソンの普及活動に専念することにしたのでした。

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 今日のお話は、ここまでにしたいと思います。また続きは、書きますので今後も購読よろしくお願いします。Gnaでした。