金栗四三(日本マラソンの父)28
こんばんはGnaです。
今日は、先日もお話ししました金栗四三さんの続きのお話をしたいと思います。
前回のお話では、幻の第12回夏季オリンピックのお話でした、その後の金栗四三さんはどうなったかというと
今回も前回に引き続き幻の第12回夏季オリンピックのお話をしたいと思います。
東京オリンピックの開催については大いに揉めたが、商工省が「紀元2600年記念
日本万国博覧会」の中止を決定したことから、厚生省が東京オリンピックの開催
中止を決定したのでした。
これを受けて、日本政府は1938(昭和13)年7月に東京オリンピックの開催中止を決議し、オリンピックを返上したのです。
このため、第12回夏季オリンピック大会はフィンランドのヘルシンキで開催されることになったのですが、第12回夏季オリンピックも第二次世界大戦のため、開催されなかったのです。
金栗四三さんは、第一次世界大戦の影響で第6回夏季オリンピック(ドイツ・ベルリン)に出場できなかった無念を思い出し、第12回大会に出場できない選手の悲劇に泣いたそうです。
第12回夏季オリンピックの中止が決まると、金栗四三さんは十文字高等女学校でを辞めて、青葉女学校へ移り、青葉女学校でスポーツの普及や指導に専念していた。
その後、戦況が悪化したため、スポーツどころではなくなり、金栗四三さんも1945(昭和20)年3月に青葉女学校を辞めて、熊本の池部家へ疎開し、畑仕事に精を出したのです。
そして、1945(昭和20)年8月15日に玉音放送を聞き、日本は終戦を迎えました。
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今日のお話は、ここまでにしたいと思います。また続きは、書きますので今後も購読よろしくお願いします。Gnaでした。