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金栗四三(日本マラソンの父)33

こんばんはGnaです。

 今日は、先日もお話ししました金栗四三さんの続きのお話をしたいと思います。
 前回のお話では、金栗さんが選手育成のつづきお話でした、その後の金栗四三さんはどうなったかというと

 前回お話しましたが第15回夏季オリンピックフィンランドヘルシンキ)で日本のマラソンが惨敗したことから、国民の期待は失望に変化していきました。

 この結果に日本陸上連盟(JAAF)は、消極的になってしまい、1953(昭和28)年の第57回ボストンマラソンへの参加を中止すると言い出し始めました。

 金栗四三さんは日本陸上連盟の反対を押し切り、第57回ボストンマラソンを出場するのだが、日本陸上連盟が反対しているので監督のなり手が無く、自ら監督を務めました。

金栗四三: 消えたオリンピック走者

金栗四三: 消えたオリンピック走者

 

  こうして、金栗四三さんが率いる日本代表選手は、1953(昭和28)年4月19日に開催された第57回ボストンマラソンに参加したのでした。

 マラソン足袋「金栗足袋」を開発した金栗四三さんは、金栗足袋を進化させ、日本初の国産ランニングシューズ「カナグリシューズ」を開発していたのでした。

 そして選手団の山田敬蔵さんは、その「カナグリシューズ」を履いて第57回ボストンマラソンに出場し、終盤の「心臓破りの丘」を突破し、2時間18分52秒という驚異的な世界新記録で優勝し、第15回夏季オリンピックヘルシンキ)の雪辱を果たしたのでした。

 山田敬蔵さんの優勝は、1951(昭和26)年の第55回ボストンマラソン田中茂樹さん以来です。

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 今日のお話はここまでにしたいと思います。続きはまたお話ししますのでこれからも読んでいただけるとうれしいです。Gnaでした。


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