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金栗四三(日本マラソンの父)24

こんばんはGnaです。
 今日は、先日もお話ししました金栗四三さんの続きのお話をしたいと思います。
 前回のお話では、マラソンの普及のために専念することを決めました、その後の金栗四三さんはどうなったかというと

 1912(明治45)年、金栗四三さんは、日本が初出場した第5回夏季オリンピックスウェーデンストックホルム)の予選に出場したとき、足袋を履いて走りました。

 海外ではランニングシューズがありましたが、当時の日本ではランニングシューズは存在してなく、多くの人々はは足袋を履いて走っていました。

 予選会では25マイル(約40キロ)という距離と悪路に足袋が耐えきれず、途中で足袋の底が破れ、金栗四三さんは裸足でゴールしました。 

金栗四三: 消えたオリンピック走者

金栗四三: 消えたオリンピック走者

 

  オリンピックに出場する事になった金栗四三さんは、東京の足袋屋「播磨屋足袋店(ハリマヤ)」の足袋職人・黒坂辛作さんに頼み、1911(明治44)年に足袋の底を3重に補強した「マラソン足袋」が完成させました。

 そして金栗四三さんは「マラソン足袋」で、1912(明治45)年の第5回夏季オリンピックに出場しましたが、ストックホルムは舗装道路で固かったため、裏を補強しただけの「マラソン足袋」では衝撃を吸収できず、練習の時に膝を痛めてしまいました。

 帰国後、この経験から、東京の足袋屋「播磨屋足袋店(ハリマヤ)」の足袋職人・黒坂辛作さんとマラソン足袋の改良に着手しました。

 こうして、こはぜ(足袋の金具)を取り外し、甲を紐で結び、足袋の裏にゴムを貼り付けたマラソン足袋「金栗足袋」を開発し、1919(大正8)年に足袋屋「播磨屋足袋店(ハリマヤ)」が「金栗足袋」の発売を開始しました。

 金栗四三さん自身は、1924(大正13)年第8回夏季オリンピック(フランス・パリ)で第一線を退いましたが、金栗四三さんが開発した「金栗足袋」はその後も大勢のマラソン選手を支え続けました。

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 今日のお話は、ここまでにしたいと思います。また続きは、書きますので今後も購読よろしくお願いします。Gnaでした。