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金栗四三(日本マラソンの父)10

こんばんはGnaです。
 今日は、先日もお話ししました金栗四三さんの続きのお話をしたいと思います。
 前回のお話では、オリンピック開会式の入場までのお話でした、その後の金栗四三さんはどうなったかというと

 そしていよいよ競技がはじまりました。

 金栗四三さんより先に短距離に出場の三島弥彦さんは、100メートルの1次予選にて最下位の5位(敗退)、200メートルの1次予選も最下位の4位(敗退)でした。当時の日本記録12秒0でも世界には遠く及ばなかったのです。
 400メートルの予選は3人が棄権したため、予選に出場したのは2人だけで、三島弥彦さんは最下位の2位でしたが、準決勝に進出しました。
 しかし、三島弥彦さんは、体力の限界と右足の痛みが激しかったため決勝戦は棄権しました。

金栗四三: 消えたオリンピック走者

金栗四三: 消えたオリンピック走者

 


 次はいよいよ金栗四三さんの番です。

 マラソンの参加者は68名で、参加選手の中アジアからの出場選手は、金栗四三さんだけでしたが、参加するマラソン選手の体格は金栗四三さんとさほど変わらないことから、金栗四三さんは安心していたそうです。

 1912年7月14日、ついにマラソン競技当日となりました。
 金栗四三さんは、緊張から眠れぬままこの日を迎えたました。

 当時のストックホルムの天気は快晴で、雲一つない日だったそうです。
 13時30分(現地時間)スタートのピストルの合図と地鳴りのような歓声を背に、金栗四三さんは走り出しました。

 今日のお話は、ここまでにしたいと思います。また続きは、書きますので今後も購読よろしくお願いします。Gnaでした。

 


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