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金栗四三(日本マラソンの父)9

こんばんはGnaです。
 今日は、先日もお話ししました金栗四三さんの続きのお話をしたいと思います。
 前回のお話では、ストックホルムにしてからの本番までの練習までのお話でした、その後の金栗四三さんはどうなったかというと

 ストックホルムに着いてから金栗四三さんは、大森兵蔵さんの看病や世話もしながら大会本番を控え、練習に励みました。

 オリンピックの開会式の4日前、オリンピック開催事務局から、入場式のプラカードの国名表記について問題が発生しました。
 金栗四三さんは「【日本】と漢字で書くべき」と頑なに主張しましたが、監督の大森兵蔵さんや日本選手団団長・嘉納治五郎さんは「それでは誰も読めない。やはり、英語の【JAPAN】でしょうと」と反対した。
 しかし、日本のプラカードを持つ事になっていた金栗四三さんは、「【JAPAN】はイギリス人が勝手に付けた名前だからダメだと反対し、【日本】という本当の呼び名を使い、世界の人々に知らせる必要がある。【JAPAN】ならプラカードを持つのをやめます」と頑なに拒否したそうです。

 

金栗四三: 消えたオリンピック走者

金栗四三: 消えたオリンピック走者

 

  このため、みんな困りました。

 そして嘉納治五郎さんがが折衷案として、「発音は【ニッポン】、標記はローマ字の【NIPPON】でどうか」を提案しました。
 金栗四三さんは団長・嘉納治五郎さんに反対してまで漢字の「日本」にしようとはせず折衷案を受け入れ、初めて日本がオリンピック出場したときのプラカードは「NIPPON」というローマ字表記になったのです。
 こうして、1912(明治45)年7月6日に行われた第5回夏季オリンピックスウェーデンストックホルム)の開会式では、三島弥彦さんが日章旗を持ち、金栗四三が「NIPPON」と書いたプラカードをもって入場したのです。

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ストックホルム五輪日本選手団の入場・日本オリンピック委員会より

 【NIPPON】の表記はこの大会のみで、以降のオリンピックは全て【JAPAN】となっています。

 今日のお話は、ここまでにしたいと思います。また続きは、書きますのでこのブログを今後もご覧いただけると嬉しいです。Gnaでした。

 


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