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金栗四三(日本マラソンの父)7

こんばんはGnaです。

 今日は、先日もお話ししました金栗四三さんの続きのお話をしたいと思います。

 前回のお話では、日本中の期待を背負いながら、ストックホルムに向けて出発しまでのお話でした、その後の金栗四三さんはどうなったかというと

 大正時代(1912~1926年)、日本からスウェーデンストックホルムへと向かうのはとても大変なことでした(今であれば飛行機で速いと11時間半ぐらいで東京から行けるそうです)。

 ストックホルムへ向かう前には、長距離の練習はもちろん、海外でのレースを行うために合間の時間に礼服を新調したり、洋食店に通って西洋料理のテーブルマナーや英語をを学んだりしました。
 嘉納治五郎さんの友人で、ストックホルム五輪の日本選手団監督となる大森兵蔵さんには、アメリカ出身で帰化した妻・安仁子さんがおりました。そのため英会話は、この安仁子さんに習ったそうです。

 その他、金栗四三さんはオリンピック予選(1911年11月 東京・羽田運動場)の時に履いていた足袋の底が破れたので、近くにある足袋屋「播磨屋足袋店(ハリマヤ)」の足袋職人・黒坂辛作さんに足袋の底を厚くするように改良を頼み、底を3重に補強した「マラソン足袋」が完成し持って行ったのです。(あのドラマのモデルと言われています。)

 

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 1912(明治45)年5月16日、長距離代表の金栗四三さん、短距離代表の三島弥彦さん、日本選手団監督の大森兵蔵さんと妻の大森安仁子さんの計4人は、日本国民の期待を期待を背負い、新橋駅から汽車ににりました。
 その後、福井県敦賀港から船でウラジオストクへと渡り、そこからシベリア鉄道で、第5回夏季オリンピックが開催されるスエーデン・ストックホルムを目指しました。

 なんとシベリア鉄道内では、食費を浮かせるために大森安仁子さんが中心となって自炊をしていたと記録されています。
 自炊が中止となったときは、食堂車で安いメニューを味わったそうです。

 そして出発から17日後の1912(明治45)年6月2日に金栗四三さんたちはスエーデンの首都ストックホルムに着いたのです。

 私も1時間の通勤電車だけでも疲れ果ててしまうのに17日間も汽車や船で移動したらとてもつらいことだと思います。

 今日のお話は、ここまでにしたいと思います。また続きは、書きますのでこのブログを今後もご覧いただけると嬉しいです。Gnaでした。

金栗四三: 消えたオリンピック走者

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  • 作者:佐山 和夫
  • 出版社:潮出版社
  • 発売日: 2017-12-05

 


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