金栗四三(日本マラソンの父)4
こんばんはGnaです。
今日は、先日もお話ししました金栗四三さんの続きのお話をしたいと思います。
前回のお話では、大学入学しマラソンの道を選ぶまでのお話でした、その後の金栗四三さんはどうなったかというと
1911(明治44)、金栗四三さんは4月に1年生(予科)を終了し2年生(本科)へ進級しました。
そして本科へと進んだ生徒は原則、何らかの部活にが必修であり、迷った末、金栗四三さんは徒歩部(後の陸上部)を選択し入部しました。
入部を決めた理由は、
①徒歩部はまだ貧弱だから、自分が鍛えよう②長距離走で好成績を収めたからには、持久力は負けない③徒歩部ならば道具がいらないとのちに語っています。
もしここで徒歩部に入らなければ『マラソンの金栗』は生まれなかったことになると思います。
こうして、金栗四三さんは徒歩部に入ったことによりランニング人生が始まりましたが、放課後の部活動は教育の一環なので激しい練習はせず、徒歩部に入った金栗四三さんは、自主的に人より二倍練習する努力をし早朝から練習に励んでいたそうです。
気がつけば誰も彼にはかなわなくなりそこで鍛えたスタミナのおかげか、本科に進んで一年後、春の長距離走で見事優勝を果たし、東京高等師範学校で敵無しのランナーへと成長したのでした。
長距離ランナーとしての才能が、ついに開花したのでした。
いよいよこれからオリンピック選手として活躍が始まります。
先日(4月7日)、前にもお話ししました第27回金栗記念選抜陸上中長距離大会2018が行われましたそのリザルトをあげておきますね。
注目の選手は、走ったでしょうかこれからチェックです。
今日のお話は、ここまでにしたいと思います。また続きは、書きますのでこのブログを今後もご覧いただけると嬉しいです。