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陸上競技の楽しい話を紹介したいです

マラソン

こんばんはGnaです。

 今日は、マラソンについてお話ししたいと思います。

 先日お話しした、競歩が始まったのが第4回夏季オリンピック(1908年 イギリス・ロンドン)でした。

 そのとき、マラソン歴史の中で有名な事件が起こったのです。

 マラソンの歴史は、紀元前490年9月12日にギリシアアッティカ半島東部のマラトンで起きた「マラトンの戦い」に由来するといわれています。 アケメネス朝ペルシアの強大な遠征軍に対するは、アテナイ・プラタイアの2都市連合軍で マラトンの地にてアテナイ・プラタイア連合軍はペルシア軍を迎え撃ちます。

 戦力に劣るアテナイ・プラタイア連合軍でしたが、ギリシャお得意の重装歩兵陣で中央戦線を支えつつ両翼からの突撃で大勝利を収めます。 連合軍の兵士エウクレスは勝利の報を一刻も早く届けるため、武装したままマラトンから40キロ以上離れたアテナイまで全力で駆け抜けます。 そして「我々が勝利した!」と伝えて絶命したと言う話です。

 このことから第1回夏季オリンピック(1896年 ギリシャアテネ)でマラトン古戦場からアテネ競技場への競争がマラソンの始まりです。 しかし当初は距離の規定は「約40キロ」とされており、第7回夏季オリンピック(1920年 ベルギー・アントワープ)までは40キロ前後のコース設定(第1回40キロ・第2回40.26キロ・第3回40キロ・第4回42.195キロ・第5回40.2キロ・第6回中止・第7回42.75キロ)でした。 またマラトン-アテネ間も42.195キロという訳ではありません。

 ではどこからからその距離が出たのかというと諸説ありますがマラソンは、第4回大会の国王の住むウィンザー城からシェファードブッシュ競技場の約40キロで行われる予定でした。この際、時の王妃アレクサンドラが、「スタート地点は宮殿の庭で、ゴール地点は競技場のボックス席の前に」と注文したために42.195キロという半端な数字になったとする逸話があります。

 ちなみに、この大会で1位で競技場に到達したイタリアの選手ドランド・ピエトリはゴール直前で倒れ、役員の助力でゴール(2時間54分46秒)したためのちに失格となりました。ゴール地点が競技場の入り口からボックス席の前に伸びていることを知らなかったためともいわています。その話は、ドランドの悲劇といわれています。

 

 それでは42.195キロがどこから出てきたのかと言えば、第7回までの歴代大会で2番目に長い第4回のロンドン大会の距離に当たります。 この大会に起きた「ドランドの悲劇」により、マラソンの正式な距離が決まったのでしょうね。

 

 私は、長距離が得意ではないのですが1キロでも長く走ってみたいと思います。