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金栗四三(日本マラソンの父)34

こんばんはGnaです。

 今日は、先日もお話ししました金栗四三さんの続きのお話をしたいと思います。
 前回のお話では、金栗さんのカナグリシューズを履いた選手のお話でした、その後の金栗四三さんはどうなったかというと

 山田敬蔵さんの2時間18分52秒という記録は、新聞社が「10分時間を間違えているのではないか」と確認の電話を入れるほどの大記録でした。

 それまでのマラソンの世界記録は、ジム・ピータースさん(イギリス)の2時間20分42秒(イギリス・ポリテクニックマラソン 1952年6月14日)です。 

金栗四三: 消えたオリンピック走者

金栗四三: 消えたオリンピック走者

 

  ゴール直後、金栗四三さんは、山田敬蔵さんに駆け寄り、「山田君、ありがとう。山田君、ありがとう」と言って涙を流したそうです。

 こうして、山田敬蔵さんは、第15回夏季オリンピック(1952年 フィンランドヘルシンキ)で惨敗したという日本陸上界の汚名を見事に返上し、日本のマラソンここにありということを、世界に知らしめたのでした。

 さらに、1955(昭和30)年の第59回ボストン・マラソンで、浜村秀雄さん(協和発酵)が2時間18分22秒の記録で優勝しました。

 こうして日本マラソンは世界の舞台で活躍したのだが、オリンピックでは活躍できませんでした。

 オリンピックで日本がメダルを取得するには、1964(昭和39)年の第18回東京夏季オリンピック(東京)のマラソンで銅メダルを取得する円谷幸吉さん(2時間16分23秒)まで現れないのです。

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 今日のお話はここまでにしたいと思います。続きはまたお話ししますのでこれからも読んでいただけるとうれしいです。Gnaでした。


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