フルマラソン9
こんばんはGnaです。
今日は前回に引き続きフルマラソンについてお話ししたいと思います。
前回はマラソンの歴史についてお話をしました。
今回も、マラソンの歴史をお話したいと思います。
福岡マラソンはエリート大会として、日本のトップランナーと数人の外国人招待選手が出場するマラソンは、広く国民の人気を集めることとなりました。
同時期に他のレースは出場者こそ多かったですが数百人を超える大会はありませんでしたが、レースの質という点で福岡マラソンが一番でした。
そんな中、第16回大会(1962(昭和37)年)寺澤 徹さん(倉敷レーヨン)は2時間16分18秒4の最高記録(当時の日本記録)を出しました。
また寺澤 徹さんは1963年2月の別府大分毎日マラソン(大分県大分市)では、アベベ・ビキラさんが持っていた当時の世界最高記録を上回る2時間15分15秒8で優勝し、マラソン世界記録を更新しました。
その後第21回大会(1977(昭和42)年)にオーストラリアのデレク・クレイトンさんが2時間10分を切るが2時間9分37秒まで縮めました。
1970年代になるとトップマラソンランナーは1マイルあたり5分を切るペースで走るようになり、マラソンの人気が世界的に増えました。
ニューヨーカーであるフレッド・リボーさんは、僅かな予算で、スタート地点の短い1周とセントラルパーク(アメリカ・ニューヨーク市)4周から成るコースのマラソン大会を開催しました。参加者は100人強でしたが、当時の他の多くの大会と同じように、限られた道路上のスペースや少ない予算、そして出場者数の確保に苦労していました。
これが現在のニューヨークシティマラソンの原点となっています。
足アーチを守り、ケガを予防。アスリート絶賛の機能性インソール【BMZインソール】
今日のお話はここまでにしたいと思います。続きはまたお話ししますのでこれからも読んでいただけるとうれしいです。Gnaでした。