フルマラソン6
こんばんはGnaです。
今日は前回に引き続きフルマラソンについてお話ししたいと思います。
前回はオリンピックマラソンでの事故のお話をしました。
今回は、なぜフルマラソンが42.195キロになったのかをお話したいと思います。
以前マラソンの距離はおおよそ40キロで走っていたお話をしました。
そして第4回夏季オリンピック(1908(明治41)年イギリス・ロンドン)でのマラソンにてスタート位置の変更により42.195キロで走り始めたお話もしました。
しかし、この第4回夏季オリンピックでは、イギリス代表選手の成績不振(11名出場 最高はビリークラーク12位)で結果に失望したイギリス人が同じコースを使って毎年ポリテクニック・ハリヤーズマラソン【1909(明治42)年~1996(平成8)年】を開催するようになったからと言われています。
大会名は、このレースは、リージェント・ストリート (現在のウェストミンスター大学 )のロンドン工科大学の競技大会であるポリテクニック・ハリアーズによって企画されたため付きました。
第1回大会のポリテクニック・マラソンは1909年5月8日に開催されました。 ヘンリー・バレット(イギリス)さんが2時間42分31秒が優勝し当時の世界記録を樹立しました。
オリンピックレースと同様に、スタートはウィンザー城で行われ、コースは26マイル(41.8429キロ)385ヤード(0.352044キロ)でした(ゴールはホワイトシティ・スタジアム)。
このポリテクニック・マラソンによりは1924(大正13)年にマラソンの国際基準として採択され(1897(明治30)年に設立された古いボストンマラソンは 、1924年に42.195キロの距離を採用したが、最初の3年間(1924~1926)はわずかに短かかったといわれています 。)
長年にわたり、ポリテクニック・マラソンのコースは様々でした。
1909年~1932にかけては、西ロンドンのスタンフォード橋で終わりました。
1933年はホワイトシティ・スタジアムに戻り、1938年からは、西ロンドンのチスウィックにある新しいポリテクニック・ハリアーズ・スタジアムがゴールでした。
このコースでは、1953年にジム・ピーターズ(イギリス)さんが2時間18分40秒で走り2時間20分台の壁を壊した。
さらに実はコースが150ヤード(137.16メートル)ほど長かったのです。
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今日のお話はここまでにしたいと思います。続きはまたお話ししますのでこれからも読んでいただけるとうれしいです。Gnaでした。