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フルマラソン5

こんばんはGnaです。
 今日は前回に引き続きフルマラソンについてお話ししたいと思います。
 前回は42.195キロになっておきたこと(ドランドの悲劇)のお話をしました。

 もうひとつマラソンでの悲劇がおきました。

 第5回夏季オリンピックスウェーデンストックホルム)のマラソンにおいてポルトガルの選手におきました。

 ※第5回夏季オリンピックは、金栗四三さんの記事にも書いてある通り日本が初めて参加したオリンピックです。

 フランシスコ・ラザロさんは1910(明治42)年のリスボンラソンのほか3度のポルトガル国内大会優勝経験があり、マラソンへの適性を示す医師の診断書も持っていました。

 しかし大会当日(1912(明治45)年7月14日)は猛暑日(気温が40度に達し、日陰でも32度を計測するという記録的な暑さと言われています)で、スタートは13時45分、照りつける太陽の下で68人の選手が出発しました。 

歴代オリンピックでたどる世界の歴史

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  かなり過酷なマラソンで半数の33名が途中棄権する事態となりました(金栗四三さんも途中で行方不明【棄権にはなっていません】)。

 フランシスコ・ラザロさんは30キロ過ぎの給水所を越えてゴールまであと8キロを残した地点で倒れて、病院に運ばれました。

 深刻な脱水症状により亡くなったのは翌日朝6時のことです体温が42度を超えていたそうです。

 なお、フランシスコ・ラザロさんは殆どの選手が日除けの帽子を被っていた中で帽子を被っていない選手のひとりでした。

 後にフランシスコ・ラザロさんは、日焼けと過度の発汗を防止するために、体の表面の大部分にワックスを塗布していたことが判明しました。このワックスの油分が水を弾いて自然な発汗までも妨げたために、体内における電解質重篤な不均衡を引き起こす結果になったそうです。

 これがオリンピックマラソン史上唯一の死亡事故ですが、一般も参加できるマラソンでは死亡事故は起こっています。今では大会主催者が、エントリーの際にラザロが提出したような医師の診断書を求める国もあるそうです。

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 今日のお話はここまでにしたいと思います。続きはまたお話ししますのでこれからも読んでいただけるとうれしいです。Gnaでした。

 


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