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金栗四三(日本マラソンの父)12

こんばんはGnaです。
 今日は、先日もお話ししました金栗四三さんの続きのお話をしたいと思います。
 前回のお話では、いよいよマラソンの途中で行方不明になってしまうお話でした、その後の金栗四三さんはどうなったかというと

 倒れた金栗四三さんの全身は、噴き出した汗が結晶となって、転々と白い模様となっていました。
 ペトレ家の知人から用意して貰った服を着て、まだフラフラしながら宿舎に戻ると、怒り、打ちひしがれた様子の日本選手団の面々がいました。

 監督の大森兵蔵さんは、「いつまで待っていても日の丸がゴールしなくてね……」とガッカリした様子。
 金栗四三さんはうなだれ、次の第6回夏季オリンピック(ドイツ・ベルリン)にまた走ると誓うのでした。

 金栗四三さんは今回の敗因を冷静に分析しました。

1. 猛暑トレーニングの不足 / 予選は寒冷な秋であった
2. 練習と経験不足
3. スタートダッシュの失敗 / 外国人選手の勢いに圧倒され、ペースが落ちた
4. 足袋 / 外国人選手がゴム底の靴だった
5. 予選で世界記録を出したための慢心
6. 食物や生活環境の変化
7. 白夜による睡眠不足

多くの敗因がありました。
分析を終えた金栗は、むしろスッキリとした気持ちでした。
また次がある。悔しさと恥ずかしさをバネに、また頑張ろう。そう思えたのです。

 

金栗四三: 消えたオリンピック走者

金栗四三: 消えたオリンピック走者

 

  こうして、日本初のオリンピック参加は、散々な成績に終わったが、嘉納治五郎さんは「みんな落胆してはいけない。私自身、君たちに勝って貰いたいとはツユほども思っていなかった。結果は予想していた通りだ。しかし、外国の技術を学び、大きな刺激を得たことは大成功と思う。日本のスポーツが国際的な檜舞台に第一歩を踏み出す切っ掛けを作ったという意味で、大きな誇りを持って欲しい。何事も初めから上手くいくことは少ないのだ」と言い、金栗四三さんらを励ました。

 監督の大森兵蔵さんは、肺結核が悪化し動けなくなってしまいました。
 そのまま絶対安静を言い渡され、帰国できなくなったのです。そしてその後、夫人の親戚をたずねて行った先のボストンでなくなってしまいました。

 金栗四三さんは、ストックホルムを出立する直前、ペトレ家の人々から食事に招かれました。
 食事会は楽しく、なごやかな雰囲気の中で進んでゆきました。
 このとき金栗四三さんは日本製の美しい小箱に、日本の紙幣を入れて御礼として渡していったのです。

 ヨーロッパを見て回り、帰国した金栗四三さんを待っていたのは、激励の言葉となんと追試験でした。
 五輪参加のため授業を欠席していた金栗四三さんは、一週間勉強に集中し、無事、試験に合格したそうです。

 今日のお話は、ここまでにしたいと思います。また続きは、書きますので今後も購読よろしくお願いします。Gnaでした。


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